クリス・アンダーソン著「フリー」の注目点と2009年の回顧

2009年の回顧
ここ1ヶ月近くブログを更新しないまま、2009年末を迎えてしまった。このブログでは2008年7月のiPhone登場を切っ掛けに基本的にクラウド時代のICTを中心としたビジネスモデルのあり方をテーマとしてきたつもりだが、1年を振り返って見ると、プラットフォーム戦略やオープンソース戦略、ベンチャー主導のイノベーションによる成長戦略などをキーワードに、リーマンショック後の日本の情報通信産業の国際競争力を復活するためには、どのようなビジネス戦略を取るべきかを問う形でのエントリー展開になってしまった。

具体的に1年間の評論を追って見ると、年初当初はWebプラトフォームビジネス中心としたビジネスモデル論(2009/1/17)(2009/2/14)(2009/3/24)、ICT産業がガラパゴス化から如何に脱却するか(2009/5/4)(2009/8/8)、ソフトウェア開発の重要性の高まり(2009/9/23)、Android携帯から見る経験価値経済の広がり(2009/5/31)などといったWebビジネス進化論的な評論から始まった。
夏場以降からはキャズムを越えるためのベンチャービジネス思考の重要性(2009/8/19)、オープンソースイノベーション戦略(2009/11/8)、保守・反動化する日本経済への警鐘(2009/10/25 デフレ経済への警鐘)、Android携帯開発に見る新しい黎明を迎えた携帯電話業界(2009/11/21)、第二のIT革命とも呼べるスマートグリッド革命の動き(2009/11/22)といったより時事トレンドを踏まえた競争戦略論に力点が移っていった。

自然体で取り組んできた自分の論評がいつしか日本経済が構造変化すべき課題まで盛り込んだ論評に変わっていったのも、変貌を模索する激動の2009年の特徴をなぞった結果だからだろう。そして2009年最後に、11月25日に邦訳版が出たクリス・アンダーセン著の「フリー、無料からお金を生み出す新戦略」を21世紀型ビジネスモデルの特徴として取り上げておきたい。

クリス・アンダーソン著「フリー」の注目点〜非貨幣経済型フリー
『フリー』は前作『ロングテール 』の著者としても有名な、『ワイアード』誌編集長のクリス・アンダーソン氏の最新作。米国ではハードカバー版が2009年7月に出版されているから日本では2ヶ月強遅れの出版となった。「無料からお金を生みだす新戦略」という副題からも分かるように、最近ネットの世界を中心に拡大しつつある「無料ビジネス」をテーマにして、様々な事例と行動経済学、心理学などの理論を駆使してまとめられている。この本の最大の貢献は、21世紀型のフリービジネスの定義を示してくれたことだと思う。
20世紀型フリ−とは、何かほかのものでお金を払わせることで、消費者が無料で便益を享受できるような無料サービスのことを言い、いわゆるマーケティング手法としての「無料モデル」だった。広告収入によるフリーペーパーなどはその象徴だ。ここまでは、既にかなり馴染みがあるフリービジネスモデルが多数存在しており余り目新しいものではない。

21世紀型フリーとはこれが更に進化する。それは20世紀型フリーのような貨幣経済での金銭の支払い動機に基づく無料かどうかだけではなく、人が評判や評価を得ることに対して労役を提供するといった贈与経済、無償の労働など非貨幣経済での動機に基づく満足感まで含んだ「無料ないし自由モデル」のことだと言っている。
これをアンダーソンは「フリーミアム」と呼んでいる。

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

フリーミアムとは「フリー(無料)」+「プレミアム(割増料金)」の造語で、基本サービスを無料で提供することで顧客を広く集め、その何割かに有料で高機能のプレミアム版に移行してもらうビジネスモデルを言う。もともとはベンチャー・キャピタリストのフレッド・ウィルソンが創った言葉だが、ワイアード誌編集長のクリス・アンダーソンがこれを著書『フリー』で広めたものだ。こうしたフリーミアムモデルが成り立つ理由は、(1)デジタルであれば大量に複製して配布する際のコストがほぼゼロになること、(2)そのため無料版を配布して最大可能数の潜在的顧客にリーチできること、(3)そのなかの数%の顧客が有料版に移行すれば、分母が大きいためにビジネスが成り立つのだと言う。(フリーミアム解説のリンクはこちら


20世紀型のアトム経済では競争市場では価格は限界費用まで下落する。21世紀型のビット経済ではデジタルテクノロジーの進化により情報処理・伝送能力の限界費用はゼロに近づく。それに加えて、情報収集の距離と時間軸がなくなることによりアイデアによって創造されるデジタル商材の開発コストも競争により急速に低下する。そのため低い限界費用で複製、伝達できる汎用情報は無料になりたがり、カスタマイズされたその人だけに与えられる特別な情報は限界費用も高くなり価格も高価になりたがる。21世紀のビット経済ではこうしたフリーへの万有引力には抵抗するよりはむしろその効果を活かすべきと説く。
例えば、音楽ビジネスでは不正コピーに対して、コストを払ってコピーガードを強化したり高い著作権料を要求して保護しようとするのではなく、寧ろ知名度アップに寄与したと見て音楽ツアーやCM出演料、グッズ販売収入などの新しい収益機会の獲得に注力すべきだという。ここまでは20世紀型フリービジネスでも見られる取組みだ。21世紀型のフリーミアム・ビジネスでは非貨幣経済効果を如何に取り込むかが重要になると説いている点に注目する必要があろう。

21世紀型の非貨幣経済型フリービジネスモデル
社会科学者のハーバード・サイモンは、情報が豊富な世界においては、潤沢な情報によって情報を受け取った者の関心が消費され欠乏するようになると言う。職場で無料のコーヒーが好きなだけ飲めるようになると、よりおいしいコーヒーを高い料金を払ってでも飲もうとする新規需要が発生する。これと同じように、ひとたび基本的な知識や娯楽への欲求が満たされると、人々を受身の消費者から創作に対する精神的報酬を求める能動的な作り手への変えてゆくという。そしてそうした創造作業への注目や評判の価値が創造の対価になり、21世紀型のフリービジネスモデルの原動力の1つになるという。Googleページランクシステムやウィキペディアはユーザーが使えば使うほど精度が高まる仕組みになっているほか、非貨幣経済型の対価としてFaceBookMy SpaceのフレンドやTwitterのフォロワーなどが挙げられる。

貨幣経済フリーミアムと非貨幣経済フリーミアムの組み合わせが今後のビジネスモデルの主流
2008年9月のリーマンショック前であれば以下のような非貨幣経済フリーミアムビジネスモデルのWebビジネスを進めることが可能だったが、リーマンショック後は(2)〜(4)のステップが進まなくなったという。
(1)すばらしいアイデア、(2)最大数の消費者を集められる無料モデルによる市場参入と資金調達、(3)人気を獲得できれば規模拡大のための追加資金調達ができる、(4)ビジネスを続けてより大きな企業に買収されるのを待つ。
つまり起業してもすぐに現金が入ってくるビジネスモデルであることが必要になってきている。ただ、不景気においても非貨幣経済型のフリーが後退した訳ではなく、従来型の有料サービスを併用した貨幣経済フリーミアムビジネスとの組み合わせが重要になるという。

2010年に向けて
2010年は、かつての米国の過剰消費型依存型の膨張経済が剥落したデフレ経済の中での成長を模索する年となる。贅肉を落とした縮小均衡と成長という一見すると矛盾した戦略を取る必要がある中で、フリーミアムビジネスモデルは、Webビジネスのみならずコンシューマー向けビジネスにとって新たな成長戦略の参考になるような気がする。