iPadの衝撃よりも日本でなぜiPadが作れなかったかの衝撃?

5月28日に日本でもiPadが発売された。2008年7月11日にiPhoneが発売されてから2年弱。iPadの登場は、iPhoneの顧客資産を引き継いだタブレットPCベースで、新たなグローバルICTビジネスルールを更に変革させる第2段ロケットが発射された瞬間だったと私はみている。
今年年初の1月4日のエントリー「2010年のICTトレンド」で、2010年に起こる今後10年後に向けての技術トレンドとして挙げた6つの中に電子書籍端末などタブレットPCを挙げたが、まさにこれが具体化した。米国フォレスターリサーチによれば、2010年に登場したタブレットPC(シェア6%)は、2012年にはネットブックPCを抜き(タブレットPCシェア18%)、2013年にはデスクトップPCを抜いて(シェア21%)、2015年にはタブレットPCはノートブックPC(シェア42%)に次ぐシェア23%まで成長するという。但し、中身は従来のPCとは全く異なる。
思えば2008年のiPhone発売が、私がこのブログを書き始めた切っ掛けだった。その際、2020年のICT業界を展望した時に、もはやそこには通信・放送・OS・システムソリューション開発・コンテンツといった20世紀縦割り型のビジネス境界線は存在しないだろうと見ていたが、iPadはまさにそれを象徴したサービス端末だ。
一方で、ソニーからiPadが生まれなくなったことに象徴されるように、日本の製造業を含めたICT産業のガラパゴス化と国際競争力の低下が進む一方で、リーマンショック後の世界経済復活の牽引役として中国を中心とするアジア新興国企業の台頭が目覚ましい。
こうした環境変化の中で日本のICT企業もオフショア的な開発拠点化から新興国内需の成長を取り込む地場拠点作りへの発想転換が求められており、日本製造業のアジア拠点化を軸としたグローバル化の動きが活発化している。楽天ユニクロの社内公用語が英語化されたのもこうした環境変化への企業対応の一端を示している。

さて、話を戻そう。iPadの衝撃の詳細については、6月3日に刊行された林信行氏著の「iPadショック」などに譲るとして、今回のエントリーでは、なぜ、日本でiPadが生まれなかったかについて整理しておこう。

IPADショック

IPADショック

なぜ、日本からiPadが生まれないのか?
パソコンなどの情報機器を売る日本の電機メーカーの多くは、電球、冷蔵庫、エアコン、テレビを売り、果ては発電機器、電車まで造る。このコングロマリット体制の下で本当に消費者の心をつかむ製品を作りたいのならば、製造責任者にAppleスティーブ・ジョブスと同等のオールマイティに近い権限を与えないと実現できないだろうが、日本企業の多くはその度胸がない。
また、ICカードシステム、指紋認証、電子決済システムなど世界に誇れる基礎技術が存在するにも関わらず総体としてユーザーに満足感を与えるレベルの要素技術にまで昇華されていないことも問題だ。その背後には、徹底したユーザーエクスペリエンスを追及するデザイナーと技術者が一体となった製品開発の思想が欠落している問題が潜んでいる。
これらの問題に共通する点として、技術的に高機能で良いものが開発できれば売れるはずだ、という過度の技術崇拝主義や、旧来のビジネスの枠からはみ出すものはやらせないという日本の旧弊がはびこっていることが挙げられよう。
具体的によく引き合いに出される議論が、なぜ日本のソニーからiPodiPadが生まれなかったかという話だ。

そもそも日本の携帯電話端末開発について言えば、日本では携帯通信キャリアが指示した仕様通りに作れば端末を買い取ってもらえるので、例え開発の現場から独創的なアイデアが出たとしても認められにくいため、日本の端末メーカーがAppleにはなりえないと言われている。ソニーとて日本では、一端末メーカーとして日本の携帯通信キャリアの指示通りに開発しなくてはならない立場にあった。
それでは、iPodよりも先にPCに接続して楽曲配信サービスを受けるメモリースティックウォークマンを発売していたソニーがなぜAppleに抜かれたのか?
大きな原因の1つは、グループ内に音楽事業会社「ソニーミュージック・エンターテインメント」を抱えているため、著作権保護を重視し、ユーザーの利便性を犠牲にしてしまったことが言われている。例えばウォークマンではソニー独自の音声圧縮形式ATRAC3が採用されユーザー間で世界的に普及していたMP3に対応していなかったことなどはその一例だ。
2004年11月にソニーiPodを追撃するため、AppleiTunesミュージックストアへの対抗軸として楽曲管理ソフト「コネクトプレーヤー」を開発し、音楽事業会社と垂直統合する戦略を打ち出したものの、1年余りで失敗した。それは事業推進元になったコネクトカンパニーが旧ウォークマンの開発部隊のエンジニア確保に手間取ったことが大きいと言われている。だが、その背景にあったのは、軽量化、電池の大容量化、防水加工といったハード重視の開発さえすればAppleには対抗できるという旧来型モノつくりの発想から抜け出ていなかったことが大きいと言われている。
ソニーと言えども、技術的に高機能で良いものが開発できれば売れるはずだ、という過度の技術崇拝主義や、旧来のビジネスの枠からはみ出すものはやらせないという日本の旧弊がはびこっていたのだ。
ソニーの創業者の盛田昭夫は、プロダクト・プランニング(商品企画)、テクノロジー(技術)、マーケティングのどれが欠けても駄目だが、とくにプロダクト・プランニングは大事にしていたという。プロダクト・プランニングの中には、従来にない新しい使い方を世の中に提案して新市場を作るという意気込みが、ソニー創業者の盛田の中にはあった。それはAppleのジョブスとも共通する。
日本の製造業を含めたICT産業のガラパゴス化と国際競争力の低下の背景には、ソニー創業のような本来の企業家精神が剥落したことが大きいのだろう。

ソーシャルネットワーク時代の事業創造
近年の日本企業では、なかなか新規事業が新しいイノベーションを起こして世界的なセンセーショナルな市場をつくるようなことが起きていない。
新規事業創造の鍵は、大企業、研究所、ベンチャーといった枠を超えて活動できる人材が活躍できるようにすることが重要だという。CGM(Consumer Generated Media)やCGD(Consumer Generated Device)の一層の躍進が叫ばれるソーシャルネットワーク時代にあって、商品サービス開発に求められるのは、消費者とともにイノベーションを紡ぐトッププロデューサーであり、就社して滅私奉公する人ではない。
ソーシャルネットワーク時代は異業種の発想、強い個性を持つ異能のつながりが新たな起業や新規事業を起こす時代になっている。だからこそ、幕末に全国の志士の間を縦横無尽に渡り歩き、新しい時代を作ろうとした坂本竜馬が今の時代に再びもてはやされたりするのであろう。
そして、現在のICTの下ではこうした個人のネットワーク展開は、誰でも簡単にグローバル展開が可能になっており、かつて大変な思いをして人脈を作ったり海外に出向いたりした時の苦労の障壁は大幅に低下している。
日本は人材の流動化の阻害が言われて久しい。人材の非流動化がベンチャー起業や新規事業創出を阻害していることについては、2010年2月12日のエントリー「ベンチャー起業家精神、ベンチャー支援に思うこと」でも色々述べた。
ソニーの創業者の盛田昭夫が言った、商品企画、技術、マーケティングの三位一体の取り組みは当然として、個人を軸足としたグローバルネットワーク展開がこれからの新規事業や起業の重要な要素になろうとしている。