グローバル化維新 〜尊王攘夷から勤皇開国へ

失われた20年を改めて実感した2010年
またまた、久々のブログ執筆になる。経済の停滞トレンドから脱せないまま2010年が終わろうとしている。GDPで中国に追い越されて世界第3位に転落した2010年の日本経済の立ち位置を整理しておこうと思う。
内閣府が12月9日に公表した2010年7〜9月期のGDP改定値は実質年率で前期比4.5%の高い伸びとなったが、これは内需うちエコカー減税や家電エコポイント効果による突発的な個人消費の改善によるものだ。寧ろこうした消費振興策は需要の先食いした財政出動だったと言え来年以降の反動が懸念される。一方で個人消費の伸び率の長期的トレンドを見てみると1997年以降、鈍化し横ばいに近い状態が今日まで続いている。こうした構造的な変化は、生産年齢人口のピークアウトと被雇用者が受け取る現金給与総額のピークアウトのタイミングとも一致している。リーマンショック前の円安・輸出景気もこうした構造的な長期停滞傾向を変えることができなかった訳だ。人はこれを失われた20年と言う。こうした長期停滞の中で、韓国、台湾、中国など新興国経済の競争力の向上が際立ってきたのが2010年の現状だ。
こうしたマクロ経済トレンドを企業活動ベースでみると、製造業の海外生産比率は2001年以降大きく変わっていない。
世界全体で見れば、内需の縮小を上回る規模の需要がアジアを中心に生まれているにも拘わらず、これを取り込めないのは日本経済ではなく個々の企業のビジネスの問題と言える。
また、政府の産業政策においても、もはや国内立地での競争力を失い海外立地に適した産業分野の雇用を国内に留める戦略は、財政が乏しい中では不可能になってきている。

求められる新たなグローバル化維新
こうした行き詰まりに対しては、国籍が日本か海外を問わず、日本で活動したい人や付加価値を生み出せる人には積極的に日本で貢献してもらえるようなフラットな産業政策が必要になってきているのだろう。言いかえれば、国内産業全般をグローバルな競争に晒させて国際市場との垣根を下げ、ヒト・モノ・カネのみならず文化に至るまで様々な経済・社会資源を海外から自由に取り込め、一方で、日本からは優位性を失った旧来型の産業はどんどん海外移転できるような国際社会と双方向な交流の環境作りと、これらを通じて新しい付加価値を国内で創発できる環境作りが必要になっているのだと思う。

折しも、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加・不参加の議論が高まってきた。
まさに幕末にも勤皇開国か尊王攘夷かで国家が揺れた。日本は思い切って開国に踏み切った結果、その後の近代の産業革命と成長をもたらした。
しかしながら、日本の戦後の経済政策を振り返ってみると、ヒト、モノ、カネのうち工業製品の輸出とその原材料の輸入だけを自由化する部分開国政策を取ってきたと言える。完全な開国政策ではない。戦後65年経った現在、TPPの議論を前に、再度、中途半端な開国から完全開国へ移るべきかが問われている。

部分開国政策から完全開国政策へ
経営共創基盤の冨山和彦氏が指摘しているように、米国など加工貿易立国でない国との交易で勝負してきた時代はこれで補完関係が築けたが、アジア各国、韓国、中国のように日本と類似した加工貿易型の国々が完全開放モデルで戦ってきて現代では、部分競争にしか晒されていない日本は競争力を増そうとする上で不利になるだろう。
但し、完全開国に移行することにより、短期的には単に人件費が安いという理由で経営が維持できていた中小企業や関税障壁で守られていた農業などは従来のままでは潰れてゆく痛みを伴う。自社にしかできないことで世界に向けて商売できるオンリーワン企業のみが生き残っていける厳しい淘汰と選別のプロセスは避けて通れないだろう。21世紀の尊王攘夷から勤皇開国へは痛みも伴うが、これこそが今後日本が避けて通れない国際競争力の強化のプロセスなのだろうと思うのだが・・・・。