今日は、金曜日。久々に同僚と飲みに行って酔っ払って帰ってきた

murakyut2009-01-23

今日、飲みに行ったのは、昔の会社からの同僚と、途中入社の同期の3人。で、盛り上がった話題は、1980年代のお互いの中国ドタバタ旅行記
同僚の同期は、天安門事件以前の中国・北京への会社での出張経験を語り、自分は会社入社前の学生時代の1980年代前半に北京の天安門広場の前を中国人の友人の自転車の後ろに跨り観光したこと、その後、4000キロ離れたシルクロードで有名な新彊ウイグル自治区へ人民列車で延々と夜行列車で旅した時の経験談などで盛り上がった。

現在、中国・北京といえば、北京オリンピックでも紹介されたように、高層ビルが立ち並び立体交差のある大通りを自動車が行きかう資本主義の先端都市を誰もが思い浮かべるだろう。だが自分が学生時代に貧乏旅行した1980年代前半は、人民服を着た人たちが大量に自転車で行きかい、街の食料百貨店では配給切符がないと買い物ができず、農村では人民公社が存在する中国共産党が支配する共産主義国家そのものだった。

新彊ウイグル自治区へ夜行列車の中で、硬座と呼ばれる人民のための2等客車は、郊外に行けば鶏などの動物を籠に入れて天秤棒で担いだ地元住民などが乗り込んでくる、泥臭い人民列車そものもだった。

自分は戦後生まれで、第二次世界大戦後の焼け野原の経験は知らないが、恐らく、戦後復興期の買出し列車のような光景が1980年代前半の中国には残っていたのだろう。
当時は、中国人民にしか通用しない人民元と、外国人などが保有でき外貨に交換できる兌換元に分かれていたが、自分が日本人で兌換元を持っていると分かると、街の裏通りに呼び込まれ、兌換元を人民元に高価で交換する闇市が至るところにあった。その他、配給切符で買えない正価品以外の買い物は、共産主義の下でも、言い値は高値で吹っかけられる商魂たくましい精神が、いたるところに滲んでいた。
なによりも、人民列車に人の後先かまわず自分時中心に乗り込み、動物も人間も一緒に昼夜を共にする熱気には、その後、現在に至る猛烈な経済成長を匂わすバイタリティがみなぎっていた。
とても、スマートな現代・日本人には耐え難い猛烈な人間臭さがあったように思う。
今でも、中国人の熱気は現代化したものの、猛烈な勢いで残っている。

今の日本、急速な景気悪化もあるのだろうが、そういった人間臭い、成長バイタリティがないように感じるのは自分だけだろうか?

今日、本屋で経済学者の中谷巌氏が書いた資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言を思わず買ってしまった。リーマン・ショック後の経済不況到来後に、構造改革急先鋒であった著者が記す懺悔の書、とある。
単なる流行に乗った「流行本」でしかないのかどうか、ゆっくり読んで、内容の感想について書いていきたい・・・・