Android携帯発売の意義 〜経験価値経済への移行のカンフル剤になるか?

2009年5月19日、GoogleAndroid携帯電話がNTTドコモから日本で発売されると発表された。
私が、10年先のICT産業の姿を追いかけようとして2008年8月1日にこのブログを書き始めた切っ掛けは、2008年7月11日のiPhoneの発売だった。その8ヶ月前の2007年11月にGoogleが携帯電話向けWebOS「Andoroid」を無償公開していた。
こうしたことから、私は、iPhoneの発売は、GoogleMicrosoftというWebを中心とした新たなオープンプラットフォームの争奪戦を加速させる導火線となり、これがクラウド・コンピューティングの動きとあいまって10年先のICT産業の姿を描いていく導線になるだろうと思った訳だ。
2009年5月19日のGoogleAndroid携帯発売の発表は、一連のGoogleの日本での具体的な戦略の第一歩が明らかになったことを意味していると思う。端末は台湾HTC社製だ。これは林信行氏がコメントしているようにAndroidが出たからiPhoneは終わりといった短絡的話しではなく、国内版Androidの登場こそが世界のスマートフォンでスタンダードになりつつあるWebKitを搭載したiPhone 以外のスマートフォンが日本市場に復活し、寧ろ相互活性化作用によりiPhoneの第2ステージの始まりをもたらす動きになるに違いないと思う。
インターネットを便利にするという思想を柱に持つGoogleにとって見れば、「情報を見つけ出すこと」「コミュニケーション&コラボレーション」「安心して出来るビジネス・取引」といったユーザーニーズを如何にモバイル・インターネットの分野で実現することが最大の取組み目標だろう。
一方、通信キャリアにしてみれば、こうしたオープンプラトフォーム型端末が普及するかどうかまだよく分からないので、しばらくは様子見し、いけそうだったら端末やアプリの開発に投資して、一定の収益を得られるような積極策に出るのだろう。今は、取り敢えず池の中に小石を投げ込んでみて、波紋を確かめてみようという本当の最初に一歩だと思う。
iPhoneAndroidなどオープンプラットフォーム型携帯端末がもたらす携帯キャリア・ビジネス展望の見方については、5月19日付のBatayan3さんのBatayan’s Logのコメントが言いえて妙なので引用させていただく。

ソフトバンクの発表内容をTwitterで拾わせてもらいつつ昼を迎え、ランチで賑う飲食店街を歩きながらふと気がついたのは、iPhoneやAndoriodは、食べ物に例えるなら”素うどん”なのではないか、ということ。
これに対する日本の一般的なケータイは、高級料亭が余すことなく食材を詰め込んだ”松花堂弁当”ではないか、と思えてきた。
(中略)”素うどん”は、幅広いバラエティの”トッピング”から、自分の好きなときに好きなものを選べるから、毎日のランチに注文するのが基本的に”素うどん”であったとしても、トッピングのバリエーションと質で、毎日違った味わいが楽しめる。そのうえ、一定以上の質を備えながら、値段は無料のトッピング(アプリ)もふんだんにある。これなら、”うどん”自体が嫌いな人でなければ、毎日でも耐えられるだろう。それに、隣の人が食べているうどんと自分のうどんでは、まったく中身が違うのだ。

一方の”松花堂弁当”に例えられる和式ケータイは、豪華なおかずがこれでもかと詰め込まれているだけに、自分が食べたいものがどこにあるかわからかったり、ひとつひとつの量が中途半端で、食べたいものの量と質は期待ほどではない割りに、特に食べたくないものが場所を取っているのが目に付いてしまう。
(中略)
「AppStoreやAndroidMarketという名の”トッピング屋台村”が出来上がりつつあり、そこには安くて(さらには無料で)質のいいトッピングを提供することに心血を注いでいる人がたくさんいる。だからトッピングを買い求める人もたくさん集まってきていて、売る方にも買う方にも、魅力的な場所になりつつあるのだ」「”素ラーメン”とか”素冷麺”のような、和食以外のジャンルから、この屋台村を目指してくる勢力が出てきたりするかもしれない。そうなればさらに、この麺とトッピングの経済圏はお互いが複雑に絡み合いながら拡大していく可能性がある。それが、林信行さんが、Androidいよいよ国内発表で、iPhoneは第2ステージへ、と書かれていることの意味だろうと思う。それは、1軒の店が弁当箱の全てを埋めなければならない松花堂の世界とは、まったく異なる原理が働く世界なのだ」

経験価値経済への移行のカンフル剤としての期待

さて、私は、iPhoneAndroidなどオープンプラットフォーム型携帯端末がもたらす経済的意義として、モノ経済が飽和状態になっている中で、モノからコトへの経験経済へを移行を促す動きとして意義があると指摘しておきたいと思っている。iPhoneは、どういう特徴を持った端末かを人に説明するのは中々難しい商品だが、一度買ってしまうと魅力が分かる難解な商品だ。それは、iPhoneが機能性ではなく、消費者の経験価値を売りにしているためである。

この辺りについては、風観羽のta26さんの5月25日付けエントリー「モノからコトへを越えて〜付加価値の高い経験価値を求めて」が詳しい。
ta26さんによれば、消費者の経験をどうデザイニングして、どう経験を演出するかを決めるには、動画、3D、AR(Augmented Reality)などのエクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)と
エクスペリエンス・デザイニング(演出や演劇の知に熟達したマーケティング技能)が重要だという。
iPhoneAndroidなどオープンプラットフォーム型携帯端末の登場は、ガラパゴス化する日本のICT業界や製造業の向かうべき方向性をも示唆していると言っても過言でないだろう。