オープン・イノベーションが日本企業にとって重要な理由

2009年8月7日のブログ「オープン・イノベーションへの警告」で、私は池田信夫氏の8月7日付のブログでのコメント「オープン・イノベーション化という言葉が最近、バズワード化している」を受けて、私もその通りだと思うと書いた。
この時、私自身オープン・イノベーションの受け止め方はプラットフォーム戦略の1つの手段という理解に留まっていたが、Lilacさんのブログ「My Life in MIT Sloan」の10月24日付のエントリー「オープン・イノベーションが日本企業にとって重要な3つの理由」イノベーションのジレンマへの対応手段になるとの大変示唆に富むコメントに接することができた。そのため、もう一度掘り下げて整理しておきたい。

得意分野が成熟産業化してきた日本企業、デファクト化を進めるのが不得意な日本企業にとって、オープン・イノベーションは戦略的な意味合いがある。このことをしっかり意識しておかないと、本当にただのキャンペーンに終わってしまうだろう、とLilacさんは言う。
オープン・イノベーションが必要な3つの理由とは、次の3項目だと言う。

  1. アイディアが生まれないからではなく、成功している成熟産業で、イノベーションのジレンマから脱出するため
  2. 自社技術の周りに「生態系」を構築し、デファクト・スタンダード化を進めるため
  3. せちがらい世の中で、企業の研究者同士のコミュニケーションを深めるための「かくれみの(コミュニケーションの場)」を確保するため

1.では、同じ成熟産業で成功している同業他社と協業しても新しいイノベーションは起こらないことから、小さいベンチャーや、他業種からの新規参入者、大学などを活用する。具体的には、自社の研究者、エンジニアをスピンオフさせて、こういうところに送り込み、JVにしたりして、資本は入れておくというものだ。
2.では、自社が基軸となる技術を持っている場合で、その技術を相手に合わせて変化させながらプラットフォーム化し、「業界標準」としていくモデルだと言う。
3.は、「談合」疑惑を避けるため、企業同士のコミュニケーションもかなり少なくなったことを受けて、研究者やエンジニア同士が、ざっくばらんに話し合う機会を作ろうというものだ。

イノベーションのジレンマからの脱出手段としてのオープン・イノベーションの重要性

3.の企業研究者同士のコミュニケーションを深めるための機会作りということに関しては、既に様々な異業種勉強会が存在するので、オープンイノベーションの積極的な意味合いとしては、少し違和感を感じるが、デファクトスタンダード化のための手段という解釈に加えて、イノベーションのジレンマからの脱出手段になるというのは大企業の企業戦略にとっても重要な視点だろう。

日本人の考え方でローカルな製品を作る時代は終わった
確かに、日本の戦後の経済成長は、自動車、半導体、テレビにせよ、欧米先進国でドミナント・デザインが決まった産業に参入し、キャッチアップするというものだったために、基本的にはプロダクト・イノベーションではなくプロセス・イノベーション主体で実現できた。プロセスイノベーションは、匠の技を活かしながら軽薄短小化と原価低減を進め、品質と価格での競争力を実現すればいいというものだった。
これらは、東大の藤本隆宏教授が論じている「擦り合わせ技術を中心とした日本のものづくりの強み」と呼ばれたもので1990年代までは確かに存在したかもしれない。
しかしながら、最近では、擦り合わせ技術の代表格であるガソリン・エンジンの自動車から電気自動車への転換がグローバルで進みそうな状況下、日本人の考え方でローカルな製品を作る時代は終わったのだと思われる。日本企業はもはや「日本らしい強み」に頼ってはいけない仕組みに変わらざるを得なくなってきているように思われる。
「匠の技の通用する分野は狭まっており、ビジネス的には袋小路である。すり合わせの有効性にも限界がある。日本企業が破れたのは産業構造の変化に日本の製造業が対応できなかったことだ」という池田信夫氏の論評ともつながる。

オープン・イノベーションは自己の技術をデファクト化するための戦術
8月7日のログでも述べたが、オープン・イノベーションやオープン化はプラットフォームを作るための一時的な手段であって、Googleなど先行するオープンイノベーション・モデルの上に乗って活用できればいいとか、物まねすればいいというものではない。オープン・イノベーションは、自己の技術をデファクト化するための戦術であり、イノベーションのジレンマから脱出する手段でもあり、その結果、最後はプラットフォームで圧倒的な市場を押えた者が勝つという真理は変わらないだろうから。
その意味で、流行追随のノリで余り軽々しく使うと、キャンペーンやバズワードになってしまうというのはその通りだろう。